私たちが東北に赴任しておよそ半年が経ちました。
余りに多くの事があり過ぎてこのブログでは伝えきれませんが、一人でも多くの方に現地の事をお伝えしたく、筆を執らせて頂きました。
私達は主に、宮城県の気仙沼市、南三陸町、岩手県の大船渡市を行き来し、最近では水産物のみならず、お肉屋さん、ケーキ屋さんなど、規模の大小を問わず、地元の商店の方々とも仕事をさせて頂いています。
当初、9月に気仙沼に入った際、まずその被害の甚大さに驚かされました。
気仙沼では300トンクラスの巨大な船が道を塞ぎ、市場周辺は未だ瓦礫の山。
通行できない道路も多くありました。
信号機も無いので警察官が手旗で誘導、半壊した建物もそのままです。
気仙沼は、一つ角を曲がると運命の分かれ道です。実際には床上浸水等もありましたが、建物が全く流されていない区域もあり、ここに住んでいる方の中には、家を流されてしまった人に対して申し訳ない気持ちになってしまった。家に帰れば現実に戻るけど、一歩外に出ると夢の世界ではないかと感じてしまう。という人もいました。
南三陸町も印象的で、3階の建物の屋上に車が乗っていたり、そこに立っていると気付かないけど、遠くから見たら立っていた場所のずっと上の木の枝に漁具がぶら下がっていたり、壊れた橋の跡(橋げた)を見ても、津波の威力が感じられました。
一階まで浸水したという小学校のグラウンドに立ち下を見ると、本当にこんな場所まで波が来たのかと目を疑います。
そして、鉄骨だけという見た目だけでなく、直視できないほど心が痛かったのが、テレビなどでも多く取り上げられた防災庁舎跡。
ここは、町の指定する避難所でしたが、想定外の津波の高さで、屋上に避難した方々の多くが被害に遭いました。また、ご存知の方も多いかもしれませんが、緊急放送のアナウンスで、流される直前まで町民に避難を呼び掛けた女性職員のいた場所です。
実際には、その後に代わって放送をしていた男性職員がいた事は、あまり知られていないと思います。もちろんその方も被害に遭われています。
後に南三陸町で知り合った漁師さんや住民の方は、この御二方がした事、多くの方の命を救った事を絶対に忘れられない、後世に語り継がなければならないと仰っていました。
この状況で9月です。当初から現地に入っていたボランティアの方は、道どころか足の踏み場もなかったと言いますが、既に震災から半年経っているという状態には見えませんでした。
部屋を片付けなさいと言われ、部屋の端に全て山積みにしただけという様な状況です。
ここから、元の街に戻るのに一体何年掛かるのだろうか。
着任したばかりの私達でさえその現実の前に言葉が出ないのに、被災地の方は如何ほどかと思うと戸惑うばかりでした。
しかし現地の方は強かった・・・
目の前の現実に目をそらさず、何が何でも立ち直って見せる。
必ず再起してみせる。という方の多くが、真っ直ぐな目で、力強い言葉で話をします。
震災当初には、マスコミやテレビなどでは伝えられない人間の嫌な面も見た。
でもそれ以上に、人の優しさ、助け合いの心に沢山触れられた。と言います。
「絆」という言葉を本当に強く感じでいたのは、被災時に山中で抱き合いながら体を暖めて過ごし、数少ない食料と水を分け合いながらしのいでいた現地の方ではないでしょうか。
もちろん、私達が出会った多くの方は仕事をされている方や、立ち上がって自立したい。震災当初お世話になった方々へ、元気な姿を見せたいという思いを持った方々です。
被災当初の話はしたくない、思い出したくないという方もいますし、寧ろそちらの方が多いかとも思います。
が、私達は実際に視て、聴いて、感じて、間違いないと言える結論が一つだけあります。
それは、「伝える」事です。
これは被災地に居る方だけでなく、ボランティアなどで現地に入った方、全員が想っている一つの願いであると確信しています。
当初は私達も、写真を撮るのはいけない事ではないかと思っていたし、私達以外の方からもそういった声はよく耳にします。
この話を現地の方にすると、現時点で100%、逆に撮って欲しい。聴いて欲しい。そして伝えて欲しい、忘れないでほしいと言われます。
伝えて欲しいというのは、現地の状況だけではありません。震災当初から支援してくれたボランティア、物資や支援金を送って頂いた方々、被災地の事を想ってくれている皆さんへの感謝の気持ち、そして、平凡な日常、お父さんとお母さん、子供たち、家族皆であたたかいご飯が食べられる事の幸せを伝えて欲しい。
こういった言葉は多くの方から頂きました。
また、既に仕事を再開された方からは、これからは復興支援として買ってもらうのではなく、一つの商品として買って欲しいという声もあります。
多くの人たちに助けられ再開できた。おかげでこれだけ自信を持って作り、売る事ができる。
立ち上がった姿を見て欲しいという思いからです。
震災から一年経ち、本当に大変なのはこれからです。
道路や鉄道などのインフラ整備はおろか、未だ仮設住宅で暮らし、仕事が再開できないという方も多く、本当に消耗戦です。
東北の問題は国民一人一人が背を向ける事のできない問題だと思っています。
財政も、出口の見えない原発の問題も、数多くの解決すべき問題を、恐らくどんな学者も政治家も、答えを知っている人はいません。
しかし、これからの多くの問題で唯一の正しい答えは、被災地の人々の声、未来を担う子供たちの声、未来に対する声「これからどうしたいか」ではないでしょうか。
その答えに対して、私達に何ができるかは分かりません。
でも、その声をできる限り多くの人へ伝えていきたいと思っています。
そして、私達が言うのは大変おこがましいのですが、全国の方々には是非現地に足を運んで、実際に見てほしいと願っています。
写真や映像では伝えきれない、肌で感じる事のできる現実を見て伝えて欲しいです。
被災地に知り合いがいない等、一歩踏み出せずに行けないという方は、時間さえ合えば私達が現地をご案内する事も厭いません。
このブログを読んで下さっている方は、少なからず被災地に関心のある方が多いかと思います。
私達が被災地に入って感じた事、想いを、少しでも共有できましたら幸いです。