はじめに
「うまいもんブログ」をご覧になっている皆さま。はじめまして。
私は群馬県高崎市にあります公立大学法人 高崎経済大学で教員をしております、鈴木耕太郎と申します。
本日からこちらのブログでコラムの連載を担当させていただくこととなりました。
コラムの主題は、私が研究している「牛頭天王(ごずてんのう)」という神様についてです。
どうぞよろしくお願いいたします。
……とまぁ、書き始めたは良いものの、これまでこちらのブログを熱心に読んでおられた皆さまからすれば、キツネにつままれた気分とはまさにこのこと、という感じなのではないでしょうか?
「……突然、え、なに? これ?」という戸惑いが皆さまの間に広がっているのではないか……そう考えると恐縮しきりです。
そもそも、「牛頭天王」なる神と、この「うまいもん」ブログとはどう関係するのか? なぜ、そんなものをこの場で語る必要があるのか?
いや、その前に「牛頭天王」なる神とはいったいどのような存在なのか?
まずは皆さまの頭に浮かんでいるであろう、大きなクエスチョンマークを取り除くことから始める必要がありそうです。
とはいえ、いきなり「牛頭天王とは……」と大上段から振りかざしても、皆さまの戸惑いは増すばかりでしょう。
そこで、やや遠回りですが、まずは私たちの「いま」を見つめつつ、本題に入っていくことにします。
アマビエ・ブームから考える信仰の意味
私たちの「いま」を語るうえで、否応なしに触れざるを得ないのがCOVID-19(新型コロナウイルス)の流行でしょう。
昨年11月に確認されたこのウイルスは、今年に入るとまたたく間に世界中に広まり、私たちに不安と混乱を与え、また大きな痛みとを残しました。
……いや、「残しました」と過去形では語れませんね。現在進行形でさまざまな痛苦を与え、私たちの生活に暗い陰を落とし続けているので。
ただ、そうした厳しい状況下にあっても、SNSを中心に大変面白いムーブメントが生まれました。
そう、「アマビエ」の流行です。
すでにご存じの方も多いと思いますが、アマビエとは、江戸時代後期の弘化3年(1846)に肥後国(現・熊本県)の海中に現れ、「今から6年は豊作が続くが、同時に疫病も流行する。そこで私の姿を描いて皆に見せよ」と言い残し、再び海中へと姿を消したと伝えられている「妖怪」のような存在です。
とはいえ、現在、このアマビエについて伝えている資料は、京都大学附属図書館が所蔵している瓦版ただ1枚(図1)だけ、ということを考えると、その当時はそこまで広く受け入れられた存在ではなかったようです。
ところが、COVID-19が猛威を振るい始めた174年後の今、アマビエによる予言めいた言葉、そして何より瓦版に描かれた「ヘタウマ」(というか、下手?)なアマビエの絵が人々の心にいくらかの「和み」と「希望」を与えてくれました(もっとも、アマビエは「姿を描け」とはいったものの、そうすれば疫病は避けられる、とは明言していない点が気にかかりますが……)。
その結果、twitterやInstagramといったSNSを中心に、プロ・アマ問わずさまざまな人がアマビエを描き、それを公開することでCOVID-19の終息を願うこととなったのです。
語弊を恐れずにいうならば、このアマビエ・ブームに、私自身はなんだか「信仰」に近いものを感じました。
もちろん、あくまで近いものであって信仰そのものとはいえません。
ただ、面白半分であるにせよ、アマビエを描いてCOVID-19の終息を願うというのは、まさに超自然的なもの=神や仏にすがり、祈る行為に近いのではないか、と感じたのです。対ウイルスという医学・衛生学的側面からは何ら意味を持たない、アマビエを描くという行為。
しかし、閉塞した状況下で、アマビエを描き、また描かれたさまざまなアマビエを見ることによって私たちの心は確かに和み、安心したのです。
宗教や信仰というものは、現在の日本においてはややもするとタブー視されることすらあります。
宗教や信仰について真剣に語ることすら憚られるような雰囲気は、あのオウム真理教による一連の事件以降、より顕著になったようにも感じます。
ただ、それでも私たちは、人生の中において幾度となく訪れる困難な状況下にあっては、どこかで神や仏、もっといえばアマビエのような「妖怪」的存在にすら、一縷の希望の光を求める傾向にあるように思えてなりません。
たとえ、実際は錯覚や気休め程度であったとしても、そうした「信仰」の対象となるようなものにすがり、祈ることで私たちは厳しい現実を乗り越えてきたのではないか――それこそが信仰や宗教の持つ大きな可能性であり、また怖さでもあると私は考えています。
牛頭天王と疫病
少し話が大きな方向にいってしまいました(でも大事なことだと思っているので書きました)。本題に入りましょう。
アマビエがブームとなって席捲したtwitterでは、本当にごく少数ですが「アマビエもいいけど、牛頭天王もいいぞ」「アマビエはかわいいけど、牛頭天王も忘れないで」といったツイートも見られました。
どういうことでしょうか?
実はこのブログで毎回取り上げる牛頭天王とは、疫病を避け、あるいは疫病を防ぐ徐疫・防疫神として明治時代に入るまで各地(北海道と沖縄を除く日本各地)で信仰の対象とされていたのです。
たとえば、皆さまのお住いのお近くに、「八坂神社」あるいは「津島神社」、「須賀神社」、「素戔嗚神社」といった神社はないでしょうか?
あるいは地元の神社の境内に「八坂社」「津島社」「須賀社」などと書かれた小さな祠があったりしませんか?
実はこうした神社ないし祠(=境内社)は、もともと牛頭天王が祀られていた可能性が高いのです。
「祀られていた」と過去形で記したのは、多くの場合、今は違う名前の神が祀られているからです。その経緯については面白いところなのですが、また違う機会に記していくこととします。
ともあれ、牛頭天王は江戸時代までは、誰もが知っている非常にメジャーな神様でした。そうしたことを知っている人が、twitterで「牛頭天王のほうが……」と書いていたと推察されます。
ただし、純粋に疫病を取り除くだけのありがたい存在かといえば、決してそうではありません。そもそも牛頭天王とは大変恐ろしい存在だったのです。
この点がアマビエとは大きく異なります。
では具体的にどう恐ろしかったのでしょうか?
ちょっと話は飛びますが、奈良国立博物館には、国宝に指定されている『辟邪絵』と呼ばれる絵画資料が所蔵されています。
平安時代末期~鎌倉時代初期の間に制作されたと考えられているこの絵画には、疫病を引き起こすあらゆる疫鬼が乾闥婆、神虫、鍾馗、毘沙門天王などによって退治されている様子が描かれており、文字通り「邪(=疫鬼)を辟する(=罰する)」絵ということになるのですが、そのうちの一幅に「天刑星(てんけいせい/てんぎょうしょう)」と呼ばれる神を描いたものがあります。
恐ろしい形相をした天刑星が、四本の腕で疫鬼・悪鬼たちを捕まえてボリボリと食べているという迫力満点の絵なので、ぜひ皆さまご覧いただきたいのですが(なお、権利関係の問題もあって当コラムには当該資料は掲載しません。あしからずご承知おきください。インターネットで検索すればすぐに出てきます)、ここで注目すべきは、その絵と共に記されている以下の詞書です。
「かみに天形星となつくるほしまします 牛頭天王およびその部類ならびにもろもろの疫鬼をとりてすにさしてこれを食とす」
現代語訳 : 神として天刑星という星がいらっしゃいます。
牛頭天王およびその部類、さらにもろもろの疫神を捕らえて、酢につけてこれらの疫鬼を食すといいます。
つまり、この絵の中で牛頭天王は天刑星に食べられてしまう存在、すなわち疫鬼にほかなりません。
このように牛頭天王とは、疫病を発生させ、世の中に広める行疫神として認識されていたのです。
疫病の発生源ということですから、恐ろしいことこの上ないでしょう。
ただ、前述の文を読んでいる皆さまの中には、
「え? 疫病を取り除く神様じゃないの?」
と、矛盾を感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうなのです。牛頭天王は、疫病を広める神であると同時に、疫病を取り除く神でもあるのです。
しかし、まったく真逆の側面を持つ神であるということは、なんだか理解しがたいように思えます。
しかし、この話はそこまで複雑なものではありません。
非常に簡単に説明すれば、牛頭天王が疫病を広める神ならば、牛頭天王を崇め奉ることで、疫病を広めないようにしてもらおう(=徐疫・防疫)、ということなのです。
そのために、人々は牛頭天王を祀り、そして定期的に慰撫する機会を設けました。
たとえば、京都を代表する夏祭り・祇園祭(旧称・祇園御霊会)は、もともと行疫神・牛頭天王を慰撫するための祭りでした。祇園祭(祇園御霊会)を行い牛頭天王を十分慰撫することで、恐ろしい行疫神・牛頭天王は徐疫・防疫の神へと変じていく――そのように考えられたのではないでしょうか。
疫病を広める恐ろしい存在であり、しかしその疫病をコントロールし、抑えることもできる存在、それが牛頭天王なのです(本当はもっといろいろな側面があるのですが、これも別の機会に……)。
このコラムの意義
さて、牛頭天王がどのような神であるか、簡単にではありますが説明をいたしました。
皆さまの頭に浮かんでいたクエスチョンもきっと解消されて…………ないですよね。
そう、なぜこの「うまいもんブログ」でこの神について触れなければならないのか、そのご説明をしていませんでした。
ここだけの話(といいながら、こうやって公開しているので、まったく「ここだけ」になりませんが……)、このブログ上で牛頭天王に関するコラムの執筆を打診されたとき、私自身が「なぜ?」「どうして?」と驚いたのですから。
ただ、当ブログの運営元である株式会社食文化さまと何度かメールでやり取りをするうちに、自分のなかで、なるほど、そういうことなのかと勝手に合点がいった次第です。要は私たちが自分たちの文化を知ることによって、より良い生き方を模索することができる、という点において、この「うまいもんブログ」も牛頭天王も共通しているということです。
もう少し説明が必要ですね。
この「うまいもんブログ」は、消費者が美味しいものを食べて、健康に生きていくためのコンテンツであると私は理解しています(もし間違っていたら誰か教えてください)。「健康に生きる」ためには食は非常に大事ですよね。
ただ、「健康に生きる」ためには、食だけでなく、ほかの側面も大事になってきます。たとえば、運動とか、趣味とか、仕事とか、人間関係とか。
そうした健康に生きていく上で重要なものの一つに、「教養を身につける」というものも入るのではないでしょうか。
いや、「教養」といってしまうと、少し幅が広すぎますね(私の手に負えないかも……)。私たちの「文化」を知る、ということも健やかに生きていく上で非常に大事だと思うのです。
「文化」を知れば、私たちの身の周りのことがよくわかってきます。そして、私たちとは何者であるのか、というアイデンティティも自覚することができます。
もっといえば、「文化」を知ることで、自分がこれまで見てきた世界が、さらに鮮やかに、そして興味深いものとして捉えなおすことができるようになるのではないでしょうか。
そうした「文化」の中には、当然、各地で収穫・生産された食物、またそれらを用いて作られる料理なども含まれます。まさに「食文化」なわけです。
一方、前述した信仰や宗教もこの「文化」の中に含まれてきます。
私たちが危機的状況に陥ったとき、なぜ神や仏やアマビエなどに頼るのか。
また、むしろそうした人ならざる者に頼ることで精神の安定が得られると考えられている(考えられていた)のはなぜなのか。
こうしたことを知ることで、私たちがこれまで意識してこなかった自分たちのバックボーンを知ることができるのです。
もっといえば、信仰や宗教の意味を問い直すことにもつながりますし、それらと自分との適切な距離感というものも、測れるようになるのではないでしょうか。
もちろん、私が語れるのは文化の中の信仰、信仰の中の牛頭天王に関することだけです。ただ、COVID-19が猛威をふるういま、この日本において昔の人々はどのようにして疫病と対峙したのかを知ることは、それなりに意義のあることだと考えています。
牛頭天王の信仰を通して、医学・衛生学がまだまだ未発達であった中世そして近世を生きた人々は、どのように疫病をとらえ、また精神的な意味で克服していったか、そのことを皆さまと一緒に確認することができれば、幸いです。
そのうえで、読者の皆さまお一人お一人が、「いま」を見つめなおす機会になれば、と思ってやみません。
これからしばらくの間、謎多き神・牛頭天王について書き連ねていきます。
それでは皆さま、お付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
次回は、「牛頭天王と食」を主題として書く予定です(とはいえ、予定は未定、ですので……あしからず)。
(編注)牛頭天王座像(大阪府指定有形文化財)は、所蔵する金宝山光明院中仙寺の許可を経て掲載しています。
コラム連載の著者略歴
鈴木耕太郎
1981年生まれ。群馬県 旧勢多郡大胡町(現・前橋市)出身。
立命館大学文学部、同大学院文学研究科修了。博士(文学)。
専門は国文学(特に中世神話研究)・宗教民俗学。
卒業論文時より一貫して牛頭天王信仰に関連するテキストの分析を研究テーマに据えている。
日本学術振興会特別研究員(DC)・京都西山高校国語科非常勤講師・京都西山短大非常勤講師を経て、2018年より公立大学法人 高崎経済大学 地域政策学部 講師。
近著に『牛頭天王信仰の中世』(法藏館、2019年7月)がある。